2001年12月
巷での文化や芸術の捉えられ方と、「小栗康平」の認識のされ方とが重複して見えてきます。現代美術や現代音楽は解りにくいばかりに、いや、解りにくいからこそ「芸術」と呼ばれ、大衆からはむしろ敬遠されてきました。皮肉なことに人の心を癒すために生まれたはずの「芸術」が人から敬遠されるのが現実なのでした。しかし、生きることの意味を自らの作品を通して探求し続けてきた小栗康平が今回の国民文化祭に起用されたことはタイムリーで、実に意義深いことでした。世情不安が渦巻く現代社会の中で、今、文化の在り方そのものが問われているからです。
■ 生命の発見
そんな「文化の所在の模索と確認」を県では「生命(いのち)の発見」と言い換え、この祭典のテーマとしました。小栗流にこのテーマをどう表現するのか、小栗映画のファンはもとより、全県民にとっても大変興味深い出来事の始まりでありました。
■史上初の野外劇場
開会式・オープニングフェスティバルは県庁前広場・野外特設会場と決まり、その時点で私は小栗組のスタッフとして起用されることになりました。映画「眠る男」制作時の技術スタッフによる「小栗組」に、建築家としての私が加わるかたちでした。その演出に関わる彼の舞台構想を忠実に表現し、具体化することが私に課せられた役目でした。
国民文化祭全体を司る総合プロデューサーである哲学者・内山節は開催宣言趣旨で「いのち」を見つめることは自らを知り、他を知ることだと説きます。「共生」の概念を提唱し、「生命の発見」とは人と人とのつながり、人と自然とのつながり、人と宇宙とのつながりを認識することだとも説きます。
野外会場は国民文化祭史上初の試みですが、人と自然、あるいは宇宙との連なりを理解し実感するためには適切な場、然るべき場でありました。建築家・安藤忠雄がかつて大坂に創った「住吉の長屋」に思いが及びます。どんなに高度な都市環境であろうと雨や風の気配を感じて暮らすこと、自然と共にあること、それが生きていることの確認であり、証(あかし)であると。
ベンチ群と大スクリーン
ベンチ群
雨のフェスティバル
4-2