自己を見る眼
自分の好きなことで生きられる人生は幸せです。自分がつけた優先順位のひとつが生活の中でその順位のままに実践できるという充足感は生き甲斐や幸せの理想です。知人の美術家夫妻は互いに古びた車に乗り、アルバイトで暮らす質素な生活振りですが、制作に掛ける時間だけは徹底していて、互いにあちこちで意欲的な作品発表の場を創り出しています。生活の糧を得る行為とはほど遠い“仕事”を中心にした生活ですが、慎ましいとはいえ夫妻の生活は実に楽しそうで本当に生き生きとしています。こうした生活への情熱は夫妻共に「自分を満足させるための眼」から湧き出ているようです。そして互いの暖かい眼差しがそんな生活を豊かな生き甲斐のある生き方の場に変えています。夫妻は互いに「自己を見る眼」をしっかりと認め合い、尊重し合い、互いの思いを護り続けているのです。

人を見る眼
昨年来、学校での「いじめ」が社会問題になっています。子供たちに限りませんが、相手の気持ちや状況を思いやることなく発した何気ない言葉で人は簡単に傷つきます。たった一言の言葉が相手の心に深い傷を負わすことはよくあることです。それが悪意に満ちた言葉であることを自ら認めることなく発した〈何気ない言葉〉は最も相手を苦しめます。相手の立場にたった交わりがどこまで考えられているか、これはまさに人を思いやる眼の有り無しの問題です。自分にとって〈悪意ある人〉とは即刻交わることをやめるのがいいに決まっていますが、周囲はそうした人だらけとも言えますから現実には逃れきれるものではありません。特に学校という社会で、清い眼しか持ち合わせていない子供たちにとっては最悪です。回避したり、制御したりという処世術すら備わっていません。「そんな相手にはとりあえず相づちを打って適当に…」、と私たち大人はせめて場に応じた処世術を身につけさせようと思う気持ちが頭をもたげます。しかし〈処世術〉などというずるがしこさを早速と大人の眼で子供に説いていいはずがありません。子供たちには友人の尊さ、人の心の暖かさや豊かさを純粋に解らせてあげたい。自分がこの世界で生きていることの証を正しく健全に自覚出来るように、自分を客観的に正確に見つめられる様々な眼を養ってあげたい。社会のモラルが崩れかけた今だからこそ、大人自らが清い心の眼をもう一度養うべきです。子供たちにそうした眼の持ち方を伝えるのは私たち大人の役目なのですから。
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建築家/小見山健次
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清い心の眼を
子供たちの未来へのメッセージ
新春宣言-4