機は熟した
このように国際化の視点はその経済活動による力関係の色眼鏡で見てしまうと単に競争社会が浮き彫りになるばかりである。文化や風土の違いを楽しみ、助け合い、互いに認め合える人間的な関係を築くことこそが国際交流の真の目的のはず。そのために言葉の壁が一番の障害となるわけで、これからの子供たちには中途半端でなくきっちりと語学を習得してもらい、大いに国際力を高めてもらいたいと真に願う。その意義や目的を大人たちは正確に伝えなければならない義務がある。
情けない話だがこんな私でも中学校以来10年は英語を勉強してきたし、大学ではドイツ語も数年に渡って勉強してきたはずがいずれもモノにできなかった。当時の自分の家庭環境も学校環境も海外に目を向けて語学習得を迫るような学習環境としては不十分だったと言い訳するしかないのだが、今や私の息子たちですら家族と共に何度も海外旅行を経験しているし、先日のあるイベントに参加した中学生たちに聞けば実に3人に1人は海外渡航経験者だという。国際化の波は余暇の行楽旅行をも含めて生活に関わる様々な分野から容赦なく私たちの日常に深く深く関わってきている。すでに機は熟しているというべきだろう。
文化は寛容さで
言葉の習得が手掛かりとはいえ、言葉は相手との関わりにとって表現手段の一つでしかないから食習慣や生活感覚の違いなど文化に関わる違いへの順応は言葉だけで解決できるはずもない。そうしたことは生活習慣として理屈ぬきで受け入れ、慣れるしかない。ましてや異国の友人と親しくするためにはそうすべきなのだと留学生たちも口を揃える。こうした寛容さは人が人を受け入れ信頼し合うための基本的なスタンスでもあるだろう。寛容さによらない表層的な受け入れは欺瞞や妥協や卑下を伴うばかりで、けっしてお互いの関係を深めることにはつながらないはずだ。
ところで最近の子供たちの間には「好きなものだけを食べる症候群」という現象があるらしい。学校給食でも野菜をはじめとした特定の料理がかなりの割合で残され、栄養のバランスが崩れた子供たちが増えているというのだ。そんな状況を前提に食文化を語るわけにもいかないが、そもそも症候群の原因が家庭環境に起因しているだろうことは明らかである。子供たちの未来を語る当の大人たちが彼らの未来に向けた志向にブレーキをかけていることをよくよく認識しておく必要があるだろう。
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建築家/小見山健次
子供たちには真の国際力を
子供たちの未来へのメッセージ
新春宣言-3